あつ

いつのまにかALSでした

手伝い

共働きの両親

手伝いは小さい時から

当たり前でした

 

私は姉に教わって

小2から早起きして洗濯をしました

今と違って二艘式でした

毎日5,6回まわします

 

朝一で、一回目を回しながら 

すすぎ用の水を”大きなたらい”に水を貯めます

最初は”大きなたらい”を

壁から取るのも大変です

私の身長より大きくて

いつも苦労してました

 

また、父の作業着は上下とも

一度水とたわしで

こすり洗いしてじゃないと

汚れが落ちないので毎日大変

左官をしていたので

汚れがひどい時はセメントがこびりついて

それを落とすのも一苦労でした

 

洗濯機は外のお風呂場の中にあり

前日の残り湯もすすぎに使います

”大きなたらい”には柔軟剤”ハミング”を入れます

洗濯後

脱水機に入れた洗濯物に

水の出る位置を脱水機に切り替えて

脱水しながら一度目のすすぎ

 

脱水後洗濯物を残り湯の中へ

そこで再度すすぎして

洗剤を落としてから

”ハミング”の入った”たらい”へ

そこから

塗れたままの洗濯物を脱水機へ

 

濡れた洗濯物は重くて重労働です

冬は水が冷たいし

朝は起きるのがきついし

何年続けたかな?

全自動になるまで続けたかも?

中学生になるまでだったかな?

 

ある朝、湯船に大きなネズミが

落ちて死んでることもありました

すぐに父を呼んで片づけてもらいました

ネズミは水を含んで

大きく膨れていました

 

毎朝のことでしたが楽しみもありました

母が毎朝5時半に起きて弁当を作っており

毎朝「ラジオ」を聞いていました

聞いている番組が沖縄民謡番組

パーソナリティーが”うちなー方言”で

しゃべり続けます

それを聞きながらつまみ食い

懐かしいな

まだやってるかな?

 

嫌な時もあったけど楽しかったな

母との時間もうれしかった

母を独り占めで来た時間でした