私の母
母はとてもおしゃれでした
私は全然興味がなく
24歳で沖縄に戻って来て毎日言われました
ピアスだけはすぐに開けました
簡単におしゃれしているように見えるので
それだけでも母は喜んでいました
でも
成人式に一人ずつに18金のネックレスを
もらっていましたが私はバブル世代で
キンキラの色が苦手でほとんど付けないまま
姪っ子に譲りました
付けて見せてあげればよかったけど
私は頑固で
家のお茶
私の家のお茶はジャスミンティーでした
青い蝶々の書かれた缶に入った茶葉や
オレンジの中国語の書かれた茶葉の缶
普通にスーパーに売ってました
急須にいつも入ってて
冷めると苦くて
お茶漬けもジャスミンティー
熱いご飯に冷めたお茶を
冷めたご飯に熱々のお茶を掛けて
小腹がすいたときよく食べました
友人の家で緑茶が出たとき
ビックリしました
父が県産の緑茶にハマってからは
家で温かいジャスミンティーはでなくなりました
缶で出た時飲んでびっくり
家で飲んでたお茶でした
さんぴん茶と同じと初めて知りました
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<近況報告>
ここ二日
遅くまでゆっくり出来ず
更新できませんでした
宣言したのに...
新兵器がきたら宣言通り
頑張ります
それまで更新できないときは
すみません
甥っ子
最初の甥っ子が生まれたのは
中学2年の時でした
その年は沖縄で国体があって私は
かりゆし大会(障がい者)のボランティアでした
視覚障害者の卓球の審判などで
開会式にも参加でき
まだ皇太子の時のお二人にもお会い出来ました
その開会式の日に甥っ子が生まれました
私はその日はいけませんでした
私を置いて
家族みんなで彼に会いに行きました
家に帰ると真っ暗で寂しかった
週末に会いに行きました
かわいい赤ちゃんがたくさんいる中で
真っ赤なおさるの赤ちゃんが...
私の甥っ子でした
その頃私は子供が苦手で
それを知った2女に
甥っ子の世話をすべて叩き込まれました
年子で生まれた次男の世話もしました
おかげで子供が大好きになりました